らしさ問題
今週、久しぶりに同級生と遊んだ。
しかも朝4時まで。
多分生まれてここまで遅い時間まで遊んだことがない。
理由は簡単。眠くなるし、体力が持たない。見たいテレビなどもある場合も多いし。
20代は体力がほんとにあるものなのか?
聞いたら結構な頻度で(1か月に数回程度らしい)
みんな、(地方の人ということもあるのか?)深夜までドライブしていたり、
カラオケとかで盛り上がっている。
また、恋愛関係のお話もたくさん聞けた。ほんと陽の世界である。数年でダークサイドに堕ちまくった(中二病表現。)人とはえらい違いだ。
その話をしていて驚いていたら(その時もうすでに26時頃)、ある人から言われた質問がある。それは、
「○○(個人名)普段どんな生活してんの?」
まあ、結論から言うとその質問者さんいわく20代らしい生活スタイルではないようだ。
自分は仕事が終われば家に帰ってご飯かゲームか風呂かカワイアンTVを見るか寝るかの
基本は4択である。(男らしくもない様だ)
飲みはほとんど行かない。飲む理由が見つからないし飲むなら一人で良い。
家でもできる。相席居酒屋などはほんとシリア並みにヤバいところだし。(個人的感覚)
ほんと話せる人を一人作るのも普段の生活では厳しいのだ。
共通項があるのかわからないので、将棋のように何手先を考えて探らないといけない。
(主に趣味とか、仕事もそうなるのか。)
また、周りの男の人も髪を染めていたりしてイカついお兄ちゃんが多いイメージもあるのもハードルが上がる要素。また女性が無料という時点で納得はしないがね。
カラオケは歌声が歌下手王の時のオードリー若林氏の歌声レベルなのでまあ、めったに行かない。今回数年ぶりに行ったかも。
こうやって書くために考えているとふと思いつくことがある。
自分らしさとか○○らしさの「らしさ」ってなんだろう?自分らしさは個人の問題なので、自分次第で答えは簡単に出るかもしれないが、20代らしさのように対象が不特定多数の場合は自分ではどうにもならない。基準はイメージしている姿なんだろう。
ほとんど夜に遊ばないことが20代らしくないのか?
それとも根暗とかひねくれているとか言われる(こういうことを考えているかららしい)のだが、こんな思考のことを言っているのか?
もしくは、合コンとか恋愛とか色恋沙汰の話が皆無なのことがそうなのか。
(学生時代はなぜか彼女がいたが、ほとんど記憶がない。何か月かは続いていたはずだが。)
聞いてみたが満足いく答えが出なかった。ただ、これ以上追及するとめんどくさいことになりそうで、それは嫌なので撤退した。
ほんとらしさ問題は難しい。自分で正解を見つけなければならない。
特に不特定多数を対象にする○○らしさの基準にこれからも苦しむだろう。
ただここでくじけてはならない。目の前のガラスを割ればいいのだ。自分らしく。
自分らしさは個人の問題なので、見つけやすい。そこはまだ幸い。見つけるまで数十年かかったが。
問題は不特定多数の○○らしさ。目の前の同調圧力や常識の押し付け(~すべき的なこと)に簡単には白旗は出さない。いけるところまではやっていきたいと思った。
この時期の問題事・2月
世間はバレンタインデーで持ち切りだ。
自分の範疇なら千葉ロッテの元監督の話題?と思うのだが。そうではないようだ。
チョコレート(今はいろいろあるのだろうが。)の渡しとか、
今後のお返し問題とかで盛り上がり(修羅場?)を見せている。
色々な媒体でもやっている。
ほぼ0から国規模で定着させるんだから。
(恵方巻はそうでもないらしいのだが。)
そのようなパターンはハロウィンにも言えるのだろうが、ここでは割愛。
今回は昔からもらうのはありがたいけど面倒なことである。
お返し問題である。
非常に厄介である。ほんとに。
手作りチョコレートの原価を昔から考えるような額面通り受け取らないような奴は
考えるわけだ。本命か義理かはどうでもいい。問題は「お返し」なのだ。
チョコレートをあげるというバレンタインデーでは正解(定番)があるのにホワイトデーには定番といわれるものは無い。
男どものセンスでも見たいのか?ほんと市場に困るならここも
やってほしいのだ。マーケッターの皆さんよろしくです。
渡しても「センス悪。」とか言うならお返しを期待しないでほしいのである。
しかも、バレンタインデーのチョコレートよりホワイトデーのお返しの方がはるかに
原価が高いことがほとんどだろう。100円ショップのものをやってもほとんどの人は
「なにこれ?」「センス悪。」っていうのだろう。まあ、そうか。
ただ、値段が高すぎても引かれるという。ほんとバランスがややこしいわ。
センスをスポイトされる気がする。
自分は本当に正解のない問題が苦手である。センスがないといわれればそこまでかもしれないが。
一番強いのは、お返し上げなくてもいいキャラ(いたら教えてほしい)になることかも。
もてたい人はダメなんだと思うが。
答えを教えてくれる方がいたらぜひ聞きたい。
「貰えるだけマシやろ。」という声も聞こえそうだが。
申し訳ございません。そこはカバーできません。
万人向けは不可能である。SNS時代の生き辛さの象徴なのかもしれない。
今回はあくまでお返しについてである。そのお題で書きました。
反骨精神の塊。
これは何事もそうだが、今回は前回の続きになるのかもしれないが、
prediaの話である。(当時はpre-diaから変わる直前の頃。本文ではpredia表記に統一させていただきます。)
自分が好きになったのは中学生の時。
この当時は、ほんとにアイドルグループは1強に近い時だった。
クラスの9割近くはそのファンみたいな。
自分もはっきり言って合わせていた(CD買ったり、推しを前に出したり。)
この時はやはりノミの心臓だったんだろう。ビビってた。
こちらはこの当時からアイドル=グラドルの知識もあった。
だからprediaを早く認知していた。ぱすぽ☆(当時)もしかり。
ただ、中学生に当時のprediaさんは刺激は強かったw特にバスが2時間に1本しか走らないような平和な田舎町の中学生にはあの輝きは目がやられてしまった。
ある意味ダイヤモンドの輝きだったのかも(prediaはダイヤの原石という意味である)
なので、なかなか周りには言えなかった。(言えば変わったのかな?)
でも、なんで好きになったのだろう。
考えたらやはり人と違うところを応援したいと思っていたんだろう。なんか発掘した人が凄いみたいなことになっていたのを見て悔しかったのだろう。
タチの悪いタイプの負けず嫌いなのである。負けを認めたくない。
当時から美人なのは間違いないし、歌唱力ではそのグループにも負けなかったのもあり、これは凄い。
と思い、これは短期間で来るだろうと思った。
ただ、その後も3年ほど苦労してやっとメジャーデビューを果たすのである。
まえだゆう(あだ名はちゃんころぴー)が加入して、
10人態勢が始まるのである。
(prediaはメジャーデビューするまでにすごい入れ替えが多かった印象だが。)
そしてメジャーデビューを果たしてから4年半あまり。
ここからメジャーデビュー後第2章。
中学生からの積年の願いがかなえてくれることを願うばかりである。
良かったら皆さん検索をお願いいたします。
別にみんなが好きだったグループも嫌いではない。これは断言できる。
ただのアイドル好きが同調しないで、独自の路線をたどっただけである。
最近はこのことを書かないとどうなるかわからないので、
注意書きとして書いておく。
保険をかけるところはまだまだビビりなのかもしれない。
反骨精神とビビりのバランスを掴めたら最強なのかもしれない。
感謝。
2019年2月2日。それは節目の日。
自分が応援しているグループprediaのメンバーの一部が卒業する日だったのだ。
prediaとしてのキャリアは7~8年余り。自分がまだまだ学生のころからやっていた。
そのメンバーが卒業したのだが、12月末に発表があってからの約1か月余りの間が空いたのだが、その時は「当日のこの時が来た時にどうなるのだろう」と思った。
当日。その時になったときになったのは、
「強い喪失感と、今後への前向きな気持ちと、不安感」である。
やはり、1つ目の部分は大きい。やはり長い間活動していたので、当たり前になっていた(メンバーからの言葉でもあった)からだ。
物事は始まりと終わりが必ずあるのだが、終わりの部分がすっかり抜けているのだ。
だから余計に喪失感を感じていたのだ。
2つ目はこれから新体制になるprediaへの期待感。そして卒業するメンバーのスピーチを聞いて頑張れと思う気持ち。それが混ざり合っての感情だ。
卒業するメンバーもそれぞれの道を見つけているようなので、それに向かってゆくんだと思う。成功すると信じたい。(自分がそう思うって珍しいと思った)
また、新体制のprediaについても期待感は十分だ。ダンスのフォーメーションや歌割りなどが大幅変更されると思うからだ。どういったパフォーマンスになるのだろう。環境が変化するので、すごく楽しみだし。卒業メンバーの分までの活躍を期待している。
3つ目は不安感。
もちろん環境が変化することは、不安にもつながる。
ただ、変化を恐れてはいけないし、受け入れるしかないんだと思う。現実がこうである以上ね。日本社会はそれを恐れすぎていると思うことはたくさんあるが、ここでは割愛。
それよりもprediaが重要である。
それこそパフォーマンスであったり、既存のイベントだったりはどうなるのだろうとかね。積み上げてきたものに変化を加えるわけだから。
後は、余計なお世話かもしれないが、一人一人の負担が増えるわけだから、変なプレッシャーになっている部分があると思う。
変に気負わなきゃ良いけどなーと思う。
ただ、メンバーの村上瑠美奈さんが言っていたが、
prediaは前進し続けるグループ。最強を目指すと。
それを聞いてグッとなった。
同時にまだイケる。上を目指していけると、個人的には思った。
応援して7年強。人前で応援していることをいえなかった時代もあった。
同業他社さんが強すぎてね。言ったらどんな目に遭うかもわからなかった時代。
ただ今なら胸を張って言い切れる。
好きなアイドル(歌手は)prediaです。とね。
自分がこんなに感情移入できるものが今までほとんどなかったので、
この気持ちをどう対処していけばいいかが分からないが、今は何もかもが手につかないというか、考えたくない。prediaのことで頭が占拠状態なのである。
それだけ応援しているということ。
来月、新体制のライブが9日にあるが、参加するつもり。
飛行機代見悲鳴が上がりそうになったが、そんなの関係ねぇ。
行けるときに行かないと絶対に後悔する。
これは在宅歴が長い自分はすごい思った。
だって時間は取り返せないわけだしね。行けるときは行った方が良いのだ。
今のモチベーションはpredia。
仕事よりも重要なピースである。
とりあえずは推し事が大事。関東移住も考えないとな・・・
諸行無常なのは重々承知だが、イケるところまでprediaは走り続けてほしい。
そして卒業するメンバーの分ものせてまたワンステージアップしたprediaを見たい。
ファンはついていくだけ。(個人的にはね)
応援はもちろん続けるので、また、現場に行った際はお願いします。
新生predia楽しみにしております。
あとがき
コレを昨日書くつもりだったが、頭が整理できなかった。
それだけ昨日は複雑な気分である。割りきりがつくまでこんなに時間がかかるぐらい
prediaが好きなんだなと改めて思いました。
恋人について。
*///*8754218////87451248/*やはり年頃の人なら良く聞かれると思う。
特にバブル世代ぐらいから上だとよく聞かれる気がする。
今の時代は現実的なことを考える人も多いが、カップルの数は減っているかはわからない。
マスコミは「恋愛しない若者。」みたいにこっちばかりをフューチャーしているので目立つが実態はどうなのか。周りにも結構カップルはいる。だから実態は?だ。
ただ、都市部はそうらしい。やはり給料の低迷や家賃の高騰など、
結局はお金は絡む。地方の方が早いのかもしれない。あくまで印象だけど。
まあ、やはり恋愛は難しい
機械相手でも難しいと思うけど、相手がいてのことだからね。
ある意味将棋みたいなものだと思った。
相手のことを何手先まで読む感じが将棋みたいだ。
世の中は、レディーファーストもずっと言われていて、
世の男たちはできていないとかいう。
ほんと上からだよね。歴史的には男が上の時代が長い反動のかもしれないが。
全く男女平等じゃないような気がしている。女性割とかね。売り上げが良くなるとかマーケティング的な要素もあるのだろうが、男性割とかももっと増えてほしいな~と思う。
テレビも女性に人気!とかほんとに多いと思う。やはりそっちの方が視聴率が狙えるのだろう。流行も引っ張るし。デートコースなどで見る男性も多いのだろう。
やはり女性優先社会なのだろう。
でも、そういうことを友人と話すと「恋愛に向いていない」といわれる。
そういうことを一つ一つ疑問に持つからのこと。
それを覆したいが、非常にエネルギーが必要なことである。
やはり先ほども書いたが、将棋のように何手先も読んで行動しないといけない。しかも思い通りにいかないことも多い。
それを考えると作るまでのハードルが高すぎるような気がしている。
勿論行動しないと何も始まらないことも分かっている。
人間は弱いと思う。こういうところで行動に移せる人はすごいと思う。
ただ、これを受け入れるべきなのかどうか。
そのうえで変わるべきなのか(それで変われるなら苦労しないが)それとも抗うべきなのか迷いを振り切らないといけない。
でもこれを見て皆は思うだろう。
めんどくさい人間だと。
ただ、伸びしろには期待してほしい。これが自分なりの精いっぱいのアピールである。
普通について
最近は減ったがたまに言われるのが、
「日本は好きですか?」である。
自分の答え的にはYESとも言えないしNOでも無い感じである。
(もしかするとNOなのかもしれない)
これは、政治的なものは関係がない。これは断言しておく。
そんなに政治情勢について書けるような頭ではないので。
ただ、今の日本の社会についての純粋な考えである。
まず、世界的にみて治安は良いだろう。これは海外の観光客の方々も言っている。日本は町も綺麗というのも聞くし、交通網の時間の順守なども聞く。
要因は色々あるのだが、ゴミ捨ては家庭レベルでも言われるので国民の行動に刷り込まれているのだろう。
ただ、刷り込まれているといえば、「普通を求める文化」や「消えない体育会系の組織」など嫌いな要素になる点も多い。
普通を求めるのは悪くはない。なぜなら平和だから。
ただ、普通を求めて上からマウントをかける奴が多い。ゲームとは違って相手も人間である。相手にも感情があるので、思い通りにはいくとは限らない。大人はそれを知っているはずなのに押し付ける。
何という矛盾だ。
仕事もそうだ。飲み会が嫌いな理由は、時間の無駄に感じるからである。
お酒を飲んで話せば仲良くなると思っているのだろう?
さっきも書いたが、社会はゲームではない。散々いい大人が子供とかいうのに、
お前らが駄々こねて飲みに連れていこうとしているじゃん。
こういうことを考えている奴を好きになるのは少ないのだろう。
なぜなら上の立場からするとめんどくさいやつなのである。
言い方は良くないが、服装などの統一化は忠誠の印になるのである。
それは家族単位でもクラス単位でも会社単位でもである。服従する人の方が好むのは歴史的に見ても世界的にも共通なのではある。
例えば、学校単位であれば、ランドセルや制服などがある。特にランドセルは自分は何か嫌だったので、5年の後半か6年生には完全にやめた。リュック登校していた。
当時は校則での指定はなかったので出来たが、今は出来ないらしい。内心自分は「なんで?」と未だに思うが理由は「普通はランドセルが普通でしょ」みたいなことしか返ってこない。
これでは自分みたいなレールを外しまくっている斜め人間は納得できない。
ランドセル業界への忖度なんかも思ってしまうのである。
欧米とかはリュックとかのイメージだし。制服も少ない。スーツ文化は強いかもしれないが。
当時はA4ファイルが入らないのもあったが、動きやすさ的にリュックが効率的だと思っていた。後は、みんなと一緒なのがなんか嫌だった。横並びの精神とかもなかったのだろう。(今もないとは思うが)
普通の生活ができる人は何も疑問に思わないことらしいことを疑問に思う自分。
もうこれは特殊能力と思うべきかなんといえば分からないが、普通ではないと言われる。
会社員不適合者とよく言われる。普通に生きようとするのは諦めている。
なんとか、自分も折り合いをつけないといけないが、許容範囲が狭い社会である日本は辛い部分も多い。普通になれというマウントをとってくる。
勿論、普通な人が下とか上とかそういう問題ではない。ただ、そういう考えをする人がいる(もしかすると一人かもしれないが)ということである。